知らないなら聞きましょうの精神

知らないことは、恥ずかしいことではない。

 社会人はプロフェッショナル集団である。それぞれの専門性を束ねて金儲けをする。それぞれの専門性があり、それぞれ知っていることが異なる。同じプロジェクトや目標に向かうときに共通の知識としてあった方がいいことはある。知っていることが異なるのため知らないことがあるのは当然である。知らないことは当然あるものとして扱うべきで、恥ずかしいことではない。
 学生の頃に授業でやっていないことを知らないことは恥ずかしいかもしれない。テストで良い点が取れなかったら恥ずかしいかもしてない。しかし、会社は学校ではない。均一に教育されない。仕事は授業ではない。知らないことは大した問題にはならない。業務を推敲できないことが問題になる。推敲するために必要なことをすべきで、知らないことを恥ずかしがっている場合ではない。

自分も聞くし、相手も聞く

 聞くことに対してハードルがある。年齢とか性別とか入社歴とか役割とかとか。聞くためにハードルを超える必要がある。お互いに聞けるような関係性を築いていった方がいい。

聞かれたら嫌がってはいけない

 自分が聞いた時に嫌がられたら次に聞くときのハードルが上がってしまう。聞かれた側は、聞かれたときに嫌がるのはよくない。可能な限り丁寧だが短くすますようにするべきだと思う。解るように説明してあげる方が、そこに労力を割くと疲れてしまう。1000文字書くよりもリンクを貼る方が楽だしわかりやすい説明になりがちである。1000文字書く必要があるのなら、ブログにしたり社内wikiにしたりいつでも検索して取り出せるようにしておいた方が良い。一度聞かれたことは、何度も聞かれがちのことである。
 「前にも言った」「何度も言った」「検索してみて」とかはよくない対応だと思う。 それで解決するならわざわざ聞いてはいない。  リンクを読め見てもわからないと言われたのに「リンクを読め」というのもよくない対応である。二度と聞く気にはならない。

終わりに

「知らないなら聞きましょうの精神」ってなんか長いのでもうちょっといい感じの表現があるといいなと思う